集団左遷の主人公片岡と半沢直樹の違い!転職の不自由さと時代性も!

半沢直樹』や『下町ロケット』などで

根強いTVドラマ枠となった

TBSの日曜劇場で、福山雅治主演の

集団左遷』が4月21日から新たにスタートすることになった。

 

1993年に江波戸哲夫による

原作小説が発表され、翌年、東映によって

映画化された作品でもある。

 

リストラ対象となった

落ちこぼれ銀行員たちの

奮闘を描いた物語は、

 

当時バブル崩壊直後だった日本においてタイムリーな題材だった。

 

 

それから四半世紀を経た今、

日本ではどのような受け止め方がされるのだろうか。

 

平成の始まりはバブルと共にあり、

そして平成の終わりを迎えた今もまだ、

バブル後の低迷は続いている。

 

集団左遷』には、

5月から始まる新たな元号の下で

平成という時代を締めくくろうとする意図を感じさせる。

 

バブル時代、

銀行などの巨大組織の理不尽さに

苦しむサラリーマンや公務員という構図は、

今もまだ脈々と受け継がれている。

 

平成の負の遺産を直視させるような

内容であれば、新たな時代にも大きな意義を持てるだろう。

 

だが、果たして、

そういったことがこの新ドラマに期待できるのだろうか?

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集団左遷の主人公である片岡は昭和型の企業戦士になるのか?

集団左遷の主人公片岡と半沢直樹の違い!転職の不自由さと時代性も!1
TBSの日曜劇場『集団左遷』のあらすじは大体こうだ。

 

福山雅治が演じる銀行員の片岡は、

50歳を前にして支店長に昇進する。

 

が、代わりに廃業が決まった支店に

異動させられ、落ちこぼれ行員たちの

大量リストラを請け負わされることになる。

 

支店には不可能なノルマが課せられ、

無事リストラが完了すれば片岡にはさらなる恩恵が与えられることになっている。

 

となると、あとの筋は大体見えてくる。

 

つまり、片岡は自身の出世よりも

クビ寸前の部下たちを取り、

ノルマを果たして彼らを守ろうとするという感動路線だ。

 

TBSのホームページには

スーパーマンではなく普通のサラリーマン」というフレーズもある。

 

きっとそれは

半沢直樹を意識した言葉だろう。

 

片岡は、メガバンクと産業界の

ゆちゃく構造に立ち向かった半沢ではなく、

ただ潰れかけの銀行支店を立て直そうとする男にすぎない。

 

そんな真意が読み取れる。

 

その線で行くと、きっと片岡は

銀行の上層部を忖度しながら、

圧力にさらされた部下への情も持ち合わせた男になる。

 

つまり基本的に弱いのだが、

最低限の筋を通すだけの正義感は持っているという感じだ。

 

しかし、

それではいわゆる昭和型の企業戦士が、

平成に続く新たな時代にまた祭り上げられてしまうことになる。

 

仮にそうなれば、ドラマの視聴者は

大いに限られることになるだろう。

真っ向勝負の半沢、忖度と反逆の間にいる片岡

集団左遷の主人公片岡と半沢直樹の違い!転職の不自由さと時代性も!2
1994年に東映によって

制作された映画版『集団左遷』は、

興業的に大失敗したようだ。

 

原因は筆頭プロデューサーと脚本家の確執にあるらしい。

 

プロデューサーが脚本に口出しし

大幅に筋を変えたことで脚本家が離れ、

映画の方向性が二転三転するという、

よくある筋書きだった。

 

つまり、巨大組織に立ち向かう話を描いた

集団左遷』の舞台裏では、

皮肉にも上からの圧力でバラバラになった映画の製作現場があったというワケだ。

 

 

また、映画版の失敗には、

銀行員という要素もあるのではないか

 

今も昔も、

銀行とは基本、大衆に嫌われている

 

どんなバンクも富裕層や大企業を優遇した

融資を行うため、格差拡大の温床にもなっている。

 

そのため銀行員が主役というだけで、

物語上のハンディキャップがあると言える。

 

 

一方で銀行を舞台にした『半沢直樹』は

最終回の視聴率が40パーセントを超えてTVドラマの新たな歴史を作った。

 

が、それは半沢が、

銀行員でありながらその外側に位置していたからだ。

 

彼は腐敗したメガバンクの中にありながら、

そこに外圧をかけて根底を揺るがすようなことをやっていたのだ。

 

倍返しだ」の言葉と共に半沢は忖度とは真逆の道を選び

それが日本中を熱狂させることになった。

 

それに対し、『集団左遷』の片岡は、

忖度と反逆の間で揺れ動くようなキャラだ。

 

ちょうど半沢ブームの頃に

安部政権が生まれ、それが長期化する中で

忖度社会が出来上がった。

 

そんな時代に、

こころ優しい普通のサラリーマンが、

果たして多くの日本人の共感を得られるのだろうか。

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左遷や忖度の根源にある、実質的な転職の不自由

集団左遷の主人公片岡と半沢直樹の違い!転職の不自由さと時代性も!3
日曜劇場『集団左遷』は、

原作を大幅に脚色しない限り、

成功は難しいだろう。

 

そのためには片岡が半沢直樹に少しでも

近づいてゆくことが最低条件になるハズだ。

 

落ちこぼれ行員が廃業間近の支店に

集団左遷させられ、大量リストラの危機を迎える。

 

この悲劇的な大筋の元には、

転職の自由が実質的にないことがある。

 

バブル崩壊の時代に、もしこの自由があれば

メガバンクの行員たちは、沈みかけた船からさっさと飛び降りて、別の職種に就いたことだろう。

 

集団左遷』のように、

銀行の首切り支店で延命させられるような恥じを誰が受け入れただろうか。

 

日本には転職の自由があるが、

それは形式に過ぎない。

 

普通に見れば、メガバンクの行員であれば、

その転職先には同業の銀行や、

大きく給与水準を落とさない別種の職が考えられる。

 

だが、現実的には、

給与も地位も一気に格下げさせられる職種しかない。

 

そのため現職にしがみつき、

集団左遷のようなことが起こる。

 

 

つまり、

日本には未だ転職の自由が実質的にない

 

芸能界を見れば分かりやすい。

 

2013年のあさドラ『あまちゃん』で大ブレークした能年玲奈は、

所属事務所を自主的に辞めたことで一気に仕事を失った。

 

 

芸能界には、タレントの合意なき退所に対しては業界全体で圧力をかけるという異常なルールがある。

 

もう5年近くたつが、未だに彼女の姿を

TVドラマで見ることはない。

 

さらに本名であるにも関わらず、

前事務所に名前を取り上げられた彼女は今、

のん」として活動している。

 

のんは、日本における転職の実質的な不自由さを象徴している。

 

誰もが1つの職場にしがみつくため、

企業や組織の倫理がどんどん落ちてゆく。

 

それによって、

忖度や過労やセクハラやパワハラが横行することになる。

 

私が『集団左遷』を脚色するのなら、

この転職の不自由の理不尽さを中核にしてドラマを引っ張ってゆくだろう。

 

とにかく、今のままの大筋では、

平成の次の時代に受け入れられるようなドラマにはならないだろう。

 

逆にそれでも受けるようなことになれば、

平成と同じような時代がまた到来することの不吉な予兆になるのではないだろうか。

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