令和の違和感の正体は?活気づく転売業者や元号の選考の過程も?
令和という新元号への第一印象は、

人それぞれだろう。

 

気に入った人もいれば

気に入らない人もいるし、

無関心な人だっているだろう。

 

それが自然なことだ。

 

だが、マスコミは連日、

歓迎ムード一色の様子を流し続けている。

 

TVニュースの街頭インタビューでは、

誰もが令和に対しさまざまな言い方で

好感を示している。

 

それはマスコミが

バイアスをかけた結果なのか、

 

または大方の日本国民の

実情を反映したものなのか。

 

私の第一印象は、奇妙のひと言だった。

 

奇妙であり不自然であり、

かつ冷たさを感じさせるものだった。

 

その理由については後に書こう。

 

令和という新元号を祭り上げて

日本中でハッピーな気分に浸っていたい

というような人は、

 

この先を読むべきではないだろう。

 

令和という言葉のチョイスや、

恐ろしく閉ざされた選考プロセス、

 

また元号が何の国民的議論も

なされないまま当たり前のように存続されること。

 

こういったことに少なからず

違和感や問題意識を持っている人は、

ここから少しおつきあいして頂きたい。

スポンサーリンク

国民的な熱狂を生み出した転売業者

令和の違和感の正体は?活気づく転売業者や元号の選考の過程も?1
2019年4月1日の新元号発表は一見、

国民的なイベントだったように見える。

 

街中で配られた号外紙は、

札束がばらまかれたかのように

奪い合いになり、

 

書店では令和の元になった

万葉集関連の書籍がバカ売れし、

 

ネット上の住所たるドメインもまた

reiwaの文字がソールドアウトとなった。

 

またNHKのニュース9は、

令和の詩が詠まれた九州の大宰府に

まつわる日本酒に1万本の予約が入った事を伝えた。

 

そういうお祭り騒ぎに乗じた人は

少なからず日本中でいただろう。

 

だが、国民的な熱狂と呼べるものだったのだろうか。

 

なぜなら、それらの中心にいたのは

間違いなく、転売業者だったからだ。

 

メルカリやAmazonに令和関連の商品を

横流しして利益をもくろんでいる

いわゆるセドラーたちが争奪戦を繰り広げていたのだ。

 

もちろん国民的な関心が高いので、

転売業者たちも動くことになる。

 

だが、大きな収益が上がるのは、

長くてこの1ヶ月程度のことだろう。

 

彼らは一過性の熱狂だと

知っているからこそ、

できるだけ早く動いたのである。

 

いずれにせよ、元号発表による

お祭り騒ぎの中心にいた消費者は、

新元号に純粋にほれこんだ一般庶民ではなかったと言える。

中国への敬意を欠いた国書選出アピール

平成に代わる新元号、

令和は万葉集から取られている

 

万葉集とは

奈良時代に作られた日本最古の歌集である。

 

令和は、第五巻の梅の花に関する

32首の歌集の序文、

初春の令月」「風和らぐ」から取られている。

 

元号発表後の談話で、安倍首相は、

史上初めて中国の文献ではなく、

日本の国書から元号が取られたことを大いに誇った。

 

だが、即日に令和の序文が、

万葉集よりも百年以上前に書き記された

中国の詩をベースにしているとの指摘が、

中国および日本国内の研究者たちからも上がった。

 

安倍首相はとんだ恥をかいたというワケだ。

 

しかし、この事実は

令和の選考者たちも、

充分に理解していたハズである。

 

であればなぜ、首相談話の際、

万葉集の令和序文が

中国の漢詩を下地にしたものだと言及して、

中国に敬意を示さなかったのだろう。

 

そこにはゆがんだ愛国主義が見える。

 

それが強すぎたために、

逆に中国文化の偉大さを示すという

皮肉な結果になったと言える。

 

日本語文化のルーツは、

その大部分が広大な中国大陸によって形成されたのだ。

 

その根っこの歴史を

受け入れることなくして、

日本語の素晴らしさを訴えることは出来ない。

空しく響く説明、美しくこころを寄せ合う

令和の違和感の正体は?活気づく転売業者や元号の選考の過程も?2
令和は、梅や蘭の花を称える歌集から取られた造語である。

 

首相談話で安倍総理は、

厳しい寒さの後に咲き誇る梅の花のように、

日本人1人1人が花を大きく咲かせて欲しいと語った。

 

さらに、令和には、

人々が美しくこころを寄せ合うことで、文化が生まれ育つ」という意味があるとも口にした。

 

私も、日本が本当にそういう世の中を

目指しているのであれば、

これ以上なく素晴らしいと思う。

 

だが、その一方で空々しくも聞こえる。

 

令和の真意を隠すための美辞麗句のように感じられる。

 

実際、総理自身、いったい今まで何度、

国会での議論を無視し、民意のないまま、

数の力だけで大きな法案を通してきたのだろう。

 

そもそも元号の決定過程にさえ、

人々のこころの寄せ合いがなかった。

 

秘密のベールで覆われた中、

少数の正体不明の人たちが決めただけのものである。

 

多くの人にとって、令和の一文字目、

から連想するのはやはり命令だろう。

 

令という言葉には

第一に上から下に命令する意味がある。

 

第二に姿かたちが良いがくるが、

一般には浸透していない。

 

BBCなどの海外メディアは、

令をOrder(秩序)と訳している

令をもって和をなす。

 

上からの命令の元での平和。

 

私にはそこから、権力の元で

綺麗に整列させられた国民の姿が思い浮かぶ。

 

野党議員にも指摘する人がいたが、

そこにはやはり強権的な安部政権の姿が

クッキリと映し出されているようだ。

スポンサーリンク

令和に違和感を覚える要因とは

冒頭に私が令和から冷たい印象を

受けたと書いたのは、以上のような理由からだ。

 

また、奇妙で不自然だという感じも受けた。

 

それは令という字が一般的に、

一文字目にくる漢字ではないからだ。

 

ほとんどの人が、

この二文字を当てられなかった最大の理由も

一文字目に令がきたことにあるだろう。

 

命令、号令、法令という具合に、

令は二文字目以降に来るケースがほとんどだ

 

他の例で言えば、士がある。

弁護士、保育士、会計士と、

士はほとんどの場合一文字目には来ない。

 

そのため、

士和という元号になっていても、

令和と同様にどこか奇妙な印象を与えただろう。

 

令嬢という言葉もあるがほぼ死語であり、

あえて使う時にも

“ご令嬢”と書くのが普通だ。

 

唯一、逮捕する時の令状があるが、

そこにもまた冷酷なイメージがつきまとう。

 

令和とはまた、

字としてのデザイン的なバランスも悪い。

 

令和という文字を見たとき、

私はそういったことを直感して

「何だこりゃ」と思ったものだ。

 

そしてこの違和感は、

多くの日本人も共有したものではないか。

 

もちろん元号は日本中で広く使われる性質上、すでに広まった二字熟語と重なってはいけない。

 

だが、

令和は明らかに奇をてらいすぎている。

 

かつての元号「明治、大正、昭和、平成」と見ても、すべての一文字目は一般的にもよく一文字目で使われるものだった。

国民不在で決められたものが時代の呼び名になる

なぜ、

令和という奇妙な二文字になったのか。

 

それは一般庶民に当てられたくないという

お偉方たちの思いから来たのではないか。

 

政治家や皇族といったエリートたちが大衆社会と一線を画そうとして、こうなったのではないか。

つまり、上に立つものたちの意地が、元号と言うものを奇妙にゆがませたのではないだろうか。

 

そもそも元号の選考プロセスは完全に闇に閉ざされていた

 

発表後も他のいくつかの元号候補が明かされただけで、その考案者とされる学者は、インタビューをかたくなに拒否し続けている。

 

また、平成にしても30年以上たった今も、その選考プロセスは公になっていない。

 

安倍首相は、元号に関する極度の秘密主義について、国民全員が同時に知る必要があったためと弁解している。

 

だが、国民からすれば、元号発表には大きな違和感がつきまとう。

 

なぜなら、自分たちが全く関わることなく突然登場したものが、おそらく今後数十年に渡って世の中を表すシンボルになるからだ。

 

この上からの押し付けぶりは、独裁者や教祖の誕生プロセスにも通じている。

 

そして一番の問題点は、新元号を作る前に、政府が国民に信を問うていないことにある。

 

戦後、日本は主権を国民とし、

立憲主義の下であり続けてきた。

 

それなのに、

なぜ国民不在で決定されたことが、

国民をまとめる一時代の呼び名になるのだろうか。

 

元号の存続自体から、

国民的な議論を促すべきことであった。

唯一の前向きな点

最後に1つ、

新元号に関してポジティブな面を書きたい。

 

新たな元号は、良くも悪くも、

国民意識をリニューアルさせる大きなキッカケになるものである。

 

半藤一利など、多くの有識者は、30年周期で日本史は大きく変わるものだと見ている。

 

であれば、暗い平成の30年を経て、ようやく昭和からの脱却が果たせるのではないだろうか。

 

新元号の発表がなければ、

こんな希望は抱けなかっただろう。

 

春と共に、梅の花の下で多くの日本人が美しくこころを寄せ合う未来。

 

それが美辞麗句にならない、

新たな時代を夢見ていたい。

スポンサーリンク