稀勢の里が引退して早々、親方になったことには多くの人が驚かれたのではないだろうか。
名力士が引退すれば当然、親方になるものだが、稀勢の里の場合、あれだけ長く横綱でいることにこだわり続けてきただけに、その変わり身の早さが際立ったと言える。
1年以上、横綱最長の8つの休場記録を続けながら、引退からわずか数週間で親方になったのだ。
「あれだけ粘ったのに案外あっさりしたものだな」
というのが、大方の見方ではないだろうか。
この2月5日、荒磯という新たな名前で所属する田子ノ浦部屋に姿を見せた元稀勢の里は、若手相手に稽古をつけ親方デビューを飾った。
そこで気になるのは、横綱から親方になることで何が変わるのかということだ。
高額として有名な横綱、親方の給料、そして生活にはどういった変化があるのだろう。
ここからしばらくそれを見てゆこう。
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とても質素な稀勢の里、キセノンと呼ばれた夜
一般的に横綱がどういう生活を送っているのか、お金を軸にして見てゆこう。
横綱の月収は300万円と言われているので、基本年収は3,600万円。
それに年6場所ごとに受け取る懸賞金が加わる。
横綱で大一番の場合、一回の相撲で100万円が入るとも言われるものであり、全6場所でそれぞれ300万円だとすると1,200万円。
なので横綱の年収はざっと5,000万円近くになる。
稀勢の里の場合、横綱時代に休場が多かったため年収は4,000万円ほどだったのではないだろうか。
プロ野球選手と比べると、地味なレギュラー選手クラスの額であり、相撲界の頂点に立つ横綱としてはそれほど多くはないと言える。
ただ、相撲界には良くも悪くもタニマチと呼ばれる後援会があり、多くは富裕層の彼らからもかなりのお小遣いをもらっている。
引退した横綱、日馬富士は今モンゴルでマンモス学校を建て、その理事を務めているが、それも納得の金満ぶりである。
ただ、稀勢の里の現役時代はかなり質素だったことで有名だ。
ある報道では、横綱になってからも彼は1K、つまりキッチン+1部屋のマンションに家賃8万円ほどで住んでいたという。
つまり、一般的な若手独身サラリーマンと生活レベルが同じということになる。
そしてそれには信ぴょう性がある。
稀勢の里は現役時代、TVにはあまり出ないことで有名だった。
白鵬など他の有名力士がバラエティ番組によく出ている中、彼はスポーツ番組の密着ドキュメントにさえ中々登場しなかった。
なので私生活の地味な暮らしぶりにも納得がゆく。
ただ、僕の記憶の限り、横綱時代一度だけ稀勢の里は民法TV局の生放送に出演した。
『ユアタイム』
という夜のニュース番組であり、キャスターの市川紗椰が大の相撲ファンだったため出演を快諾したそうだ。
番組の中、バイリンガルのハーフ美女から「キセノン」と呼ばれた彼は、照れ笑いを浮かべていた。
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相撲の年寄って何?すごい高給取りだってのは本当?
相撲取りから親方になるとはどういうことなのか。
正式には日本相撲協会の一員になるということであり、いちように年寄と呼ばれる。
稀勢の里の荒磯という親方名は年寄名跡と呼ばれ、相撲協会のリストにある過去の名力士の名前のことを指す。
つまり関取として偉大な功績を残せば年寄名跡リストに加えられ、後世の親方になった相撲取りに引き継がれるというワケだ。
タカ親方こと元貴乃花親方が親方になっても同じ名前だったのは、彼が名横綱だったことの証だ。
白鵬もまた引退後にはそのまま白鵬親方になるハズである。
1927年以降、親方は105名という定員が設けられている。
その最たる理由は、親方が皆、高給取りだからだと言われている。
親方衆、年寄にも7階級のヒエラルキーがあり、最も下の平年寄でも80万円近くの月収があると言われている。
年収で見ると、最高の理事クラスは3千万円近くで平年寄でも1千万円を越えている。
一般の中年会社員とは比較にならない額であり、現役横綱のおよそ4千万円の年収にも引けを取らない。
これでは定員を絞らねば、相撲協会の財政はパンクするだろう。
荒磯親方になった稀勢の里は元横綱だったため、上から4番目の『委員』になったそうだ。
年収は1千5百万円。
また引退後に出る退職金は横綱では1億円レベルであり、マゲを落とす引退式の興行収入も相当な額だという。
なので、横綱から親方になっても、生活レベルを落とす必要はない。
というか稀勢の里の場合、おそらく今後も現役時代同様、質素な暮らしぶりをしそうだ。
なので子どもが10人生まれでもしない限り、貯金がどんどん膨らんでゆくばかりなのではないだろうか。
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横綱、稀勢の里、マジメであることの功罪
今後、元稀勢の里こと荒磯親方はどんな相撲取りを育ててゆくのだろう。
現在は師匠のいる田子ノ浦部屋で指揮を取る、いわゆる部屋つき親方になっている。
だが、いずれは独立して自分の部屋を持つようになるだろう。
「みんなから愛される力士、一生懸命相撲を取る力士。次の横綱、大関を育てたい気持ちもある」
荒磯親方は報道陣にそう意気込みを語った。
誠実でマジメ一筋だった彼らしい言葉だ。
稀勢の里がケガをしない体作りを最優先していたのも、何より場所にずっと出続けるためだったハズである。
横綱時代は逆にそれがアダになった。大ケガ後にムリをして二度目の優勝を飾った後、少なくとも半年、3場所ほど休場しておけば良かったのである。
2場所連続優勝した横綱には、それくらいの特権は許される。
だが、稀勢の里はその後、半年、出ては途中休場を繰り返すことで体をなお痛めてしまった。
白鵬や鶴竜が長く横綱でい続けられるのは、適度に休んでいるからである。
これから後進を育てる荒磯親方には、横綱、稀勢の里が犯した過ちを教え、二度と繰り返させないよう指導する責任があるのではないか。
長くがんばるためには、よく休むこともしなければならない。
その押し引きの分かる親方になって欲しい。
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