今回は鬼滅の刃の原作最終回をネタバレをしないように考察しました。
なのでかなり抽象的になりますが、1ミリでも最終回の雰囲気を感じたくない方は、そっとブラウザを閉じるか、原作の最終回を読んだらそっとこの記事を読んでいただけたら嬉しいです。
僕は小学生の頃から週間少年ジャンプを読み続けていますが、鬼滅の刃ほど突発的爆発力で人気を獲得した作品は初めてだと思います。
最近のジャンプはアンデッドアンラックやチェンソーマンに呪術廻戦などかなり面白いマンガが揃っている中でも鬼滅の刃は真っ先に読んでいます!
そもそも大正時代を舞台にした作品って少ないです。
大正桜に浪漫の嵐!のキャッチコピーのサクラ大戦くらいしか思いつかなかった僕にとって鬼滅の刃の時代構成も絶妙だなと思っていました。
しかし、その時代背景が最終回には現代に戻って物語は幕を閉じます。
正直、鬼滅の刃は毎回鳥肌が立つほど面白かったのですが、最終回は鳥肌がピタリと止み不思議な感情に包まれました。
その理由や同じ気持ちになった人の意見などを分析してみたいと思います。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。
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鬼滅の刃最終回は炎上する予感と不安
上記動画の鬼滅の刃のアニメが決まった時はワクワクしました^^(もう1年も立つんですね)
僕は鬼滅の刃最終回を読んで感じたのは、「これは炎上するのでは…?」という嫌な予感に包まれました。
基本的に炎上する条件としては、爆発炎上するための火力を作品自体が秘めていることが前提です。
だれにも見向きもされない作品はよほどの不快感や時代錯誤の価値観の押し付けなどがなければ炎上したくてもできないでしょう。
それか、有名人が亡くなったり、人の不幸を自分の知名度に変換するなど倫理観を無視した今後の人生を犠牲にした行いなどでも炎上できるかもしれません。
しかし、鬼滅の刃は204話まで吾峠呼世晴先生の神経をすり減らすほどの緻密なストーリー構成による功績がかつて例を見ないような炎上の燃料を秘めています。
さらにそれを後押ししたアニメ化による追い風などによって、作品の魅力は世に広まり社会現象になりました。
大げさではなくて鬼滅の刃は現状の漫画界の頂点にいるからこそ僅かな動きにも注目が集まります。
さらに吾峠呼世晴先生は今まで一度たりとも失言や読者が不快になるような発言も無いので、炎上とは無縁の鬼滅の刃一本で評価される活動をしています。
万が一炎上するとしたら、今まで積み上げてきた作品の幕の降ろし方しか無いんじゃないかと思うほどです。
そして、その唯一の炎上の可能性を秘めていた鬼滅の刃の幕の降ろし方、つまり最終回にはファンの反応が大きく揺れることになるという直感を受けました。
鬼滅の刃炎上の可能性
鬼滅の刃の最終回発情期が話題ですね
たくさんのカップルが出来る子の流れ別に嫌いじゃないですよ#鬼滅の刃#鬼滅本誌 pic.twitter.com/tlWmJoNmg5— ぼくたかし (@taka4nobu) May 10, 2020
(先週204話も最高の回でした)
鬼滅の刃が炎上する可能性として僕が感じたのは、最終回だけ作品の世界観が様変わりしたところにあります。
個人的には204話で完結していたら非の打ち所を見つけることが難しいほどに素晴らしい幕引きだったように思いました。
別に大正時代という設定は鬼滅の刃の数多くの魅力の中のほんのひとつまみに過ぎません。
それが作品の時代背景が昭和に進もうと平成を通り越し令和になろうと大した影響は無いと多くファンは思うでしょう。
しかしながら、最終回が現代に戻った終わり方を見て思ったのは「軽い」という印象です。
もっと言うなら「軽くて早い」というか、もっと余韻に浸りたいという思いをスルーされてしまったような感覚でした。
恐らく鬼滅の刃の最終回に不満を漏らす人の傾向を予測すると、作品の世界観にどっぷり浸り、好きなキャラクターへの思い入れが深ければ深いほどに最終回を吾峠呼世晴先生の思いとは別の受け止め方をするんじゃないかな?という不安があります。
鬼滅の刃という作品はあまりにも多くの人を魅了し過ぎたゆえに、今回の最終回は読者が勝手に、一方的に上げたハードルを作者が超えなかっただけという見方もできますが、賛否両論は間違いないでしょう。
鬼滅の刃最終回で最も良かったところは?
それは最終回のサブタイトルに尽きます!
僕が毎週鬼滅の刃で楽しみにしているのはサブタイトルです。
社会現象になるどころか、僕は連載一話目から若干古臭い世界観と悲壮感からこの作品は単目に終わってしまうんじゃないかな?という予感がしました。
ですが、毎週思うのはサブタイトルのセンスはキラッとしている印象を受けました。
第一話は「残酷」でしたね。
商業誌デビューは漫画家にとって最初の関門であり夢の実現です。
僕が漫画家ならサブタイトルだけでも凝りに凝りたい!と思いながら平凡以下の自己満足なサブタイトルにしてしまうはずです。
ですが、吾峠呼世晴先生は毎回サブタイトルに迷いなく、物語にふさわしい場面を切り出してつけるセンスがずば抜けていました。
過去形にしているのは、恐らく吾峠呼世晴先生は今後再び漫画を書くことが無いんじゃないかと勝手に推測しているからです。
僕が良いなと思ったサブタイトルは
「己の鋼」
「自分ではない誰かを前へ」
「侮辱」
「黎明に散る」
「役に立たずの狛犬」
「ありがとう」
など、その話数を読む前と読み終えた後の読後感にふさわしいサブタイトルセンスは素晴らしいです。
上記のサブタイトルと比べても最終回のサブタイトル
「幾星霜を煌めく命」
はそれらを上回る魅力的なものでした。
鬼滅の刃最終回は現代ではなく大正で幕を引くべき作品
個人的に最終回で時間軸が未来に移行する作品は本当に大好きです。
主要キャラクターが数年後に何をしているのか?ってすごく気になりませんか?
どんな壮絶な世界観の作品だって、ハッピーエンドの後のキャラクター人生の方が遥かに長いわけですし、思い入れのあるキャラクターが幸せになっているのかを確認したいというのがファンの心情だと思います。
だからこそ、最終回で時間軸が未来に行く終わり方をする作品は多いんだろうなと感じます。
ですが、鬼滅の刃はかなり例外的な作品だと思います。
あまりにもあの大正という時代で活躍した炭治郎を始めとした魅力的なキャラクターが死力を尽くした世界観に読者を魅了し過ぎたのです。
毎週少年ジャンプを購入して真っ先に読む鬼滅の刃はページをめくった瞬間からその作品世界では1秒すら命がけの臨場感のある死闘に読者は引き込まれました。
思い入れのあるキャラクターが亡くなるたびに、その思いは炭治郎や残った鬼滅隊の仲間が引き継ぎ宿敵を討つという臨場感と悲壮感は読後にも凄まじい余韻を毎週必ず残しました。
そして203話「数多の呼び水」を読んだ後はとんでもない鳥肌がたちましたし、感動の余韻がいつまでも続きました。
先週の204話「鬼のいない世界」も読んでいて心がほっこりする展開で203話も204話もどちらも鬼滅の刃最終回にふさわしい着地点だったようにも思えます。
そして205話の最終回は一気に現代に…。
もちろん最終回もセンターカラーで色彩的にも視覚的にもクオリティは高いのは間違いないのですが、個人的にはどうしても204話までの鬼滅の刃のキャラクターの匂いがしなかったのです。
他にもおすすめの記事がありますので、ぜひこちらも読んでみてください
⇒平野稜二の作画で鬼滅の刃スピンオフにファンの反応は?短編での実力も!
⇒鬼滅の刃最終話(205話)がひどい!荒れる理由は伏線の未回収以外にも?
⇒100日後に死ぬワニが炎上した理由と作者きくちゆうきの欲と自信の考察
鬼滅の刃最終回は炎上の可能性と余韻についてのまとめ
今回の記事はネタバレをしないように意識しつつも、最終回に対する個人的な意見を抽象的に表現させていただきました。
全体的に批判的な内容になってしまったのは、もう鬼滅の刃という世界観が更新されることのない寂しさと、大正時代に死力を尽くしたキャラクターたちの想いがさほど最終回のキャラクターには感じなかったからです。
唯一のネタバレは僕は鬼滅の刃で一番好きなキャラクターは猗窩座なのですが、彼は出ていなかったですね(;_;)
しかしながら批判的に記事を書いていても思い出すのは鬼滅の刃がどれだけ毎週僕に緊張感やキャラクターの魅力による癒やしや励ましをもらえていたかという気持ちばかりです。
まだ少年ジャンプには魅力的な漫画がたくさん残っていますが、それをわかってはいても、鬼滅の刃が本当に終わってしまったという事実が本当に寂しいです。
今回の記事も最後まで読んでくださってありがとうございました。
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