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鬼滅の刃最終話(205話)がひどい!荒れる理由は伏線の未回収以外にも?

鬼滅の刃最終話(205話)がひどい!荒れる理由は伏線の未回収以外にも?
鬼滅の刃の最終回はファンの間でも相当賛否両論の発生する終わり方でしたね。

個人的には僕は205話の幕の降ろし方は少々余韻に浸ることができなかったので寂しさを覚えました。

やはり鬼滅の刃は主人公の竈門炭治郎の誠実さと優しさによる魅力の部分が強かったように思えます。

炭治郎を支える仲間や柱(はしら)による鬼との激しい死闘や、倒した鬼の回想による余韻がすごく記憶に残る作品として人気を得たのではないかと思っています。

単純にキャラクターデザインやストーリー構成という美点もありますが、僕は鬼滅の刃の最も強い特徴は物語の「余韻」にあると感じて今回の記事をまとめました。

ぜひ、お時間を割いていただけけましたら最後まで読んでいただけると嬉しいです。

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鬼滅の刃最終話(205話)がひどい!そう思う理由


すでに鬼滅の刃最終回を読んだファンの間では、この幕の降ろし方に対する黒歴史を予想する反応は多く挙がっています。

それはなぜでしょうか?

鬼滅の刃の作中にはまだ明かされていない伏線なども多いのですが、それらはファンの間でも考察が活発なので半ば解明されているものもあります。

なので、僕は鬼滅の刃最終話がファンの間で失望された理由は伏線の未回収が主な理由ではないと考えています。


上記のつぶやきから読み取れるのは、本編が終えたあとも鬼滅学園と言う吾峠呼世晴先生のセルフパロディの世界観に近い時間軸への急激な展開に感情が追いつかないという点です。

僕もここは共感できて、竈門炭治郎の人柄や誠実さにずっと惹かれてきましたが最終話で登場した炭治郎の子孫にあたると思われる竈門炭彦に全く魅力を感じなかった部分に違和感を感じました。

好きだったキャラクターが同じ容姿でだいぶ違う行動方針になっているというのは唸るものがありませんか?

僕はその流れに今まで好きだったキャラクター達の活躍の余韻を感じることができませんでした。

鬼滅の刃は最終話によって荒れる可能性も


もちろん鬼滅の刃の最終回を最高の幕の降ろし方であったという感想も多いです。

最終回という事実は1つですが、その内容から判断される作品の価値や反応は無数にあるので、205話の「幾星霜を煌めく命」に心打たれるファンもいます。

ですが、上記のつぶやきでも伝わると思うのですが、鬼滅の刃の最終話を叩く人をかなり批判的な見方で作品をまとめています。

普通に最終話最高でした!

という表現をされないということは、最終話を批判する人が多いという事実を知っているからこそ、最終話に対する批判的な人を作品の上辺っツラしか見ていないという煽りをしています。

恐らく、今後も最終話に対して微妙と思った人と、最終話は最高でそれを理解できなかった奴はおかしいだろ?という対立で鬼滅の刃という作品を巡って荒れる可能性も見えてきました。


ファンの心理としては鬼滅の刃の作者である吾峠呼世晴先生ではなくて、作品を扱っている出版社を非難する人もいます。

やはり色々な解釈によって良くも悪くも鬼滅の刃は最終話として完結した後も余韻ではなく、話題性として盛り上がる予感もします。

鬼滅の刃の伏線が未回収の部分は炎上にならないの?


この点は大丈夫かと思います。

作品自体の伏線はファンの間でも勝手に納得ができるほどに盛り上がり、かなり納得の出来る考察も多く、連載中から伏線の張り巡らし方には定評もあり、自然と回収していると思われる部分も多いです。

それに、作品の魅力がピークで幕を閉じたことを安堵するファンも多いなと感じました。

作品は作者が作るものですが、商業誌としての本分としては売上も最優先です。

なので、編集者や出版社勤める人たちの生活を潤すことに貢献したので作者の終わりたいという意思も理解しつつ執筆を継続して欲しいという懇願も多かったはずです。

その結果として作品の全盛期を過ぎても続き、カルピスを薄めたような作品にならなかったというだけでも安心したファンの意見も見受けられました。

鬼滅刃の最終話を見て思うファンの心境


上記のつぶやきに僕はすごく共感を覚えてしまい引用させていただきました。

今まで登場したキャラクターの子孫が平和に過ごしている描写はたしかに観てみたいきもしましたが、僕は子孫よりも竈門炭治郎たちが戦いを終えて幸せに暮らしている描写の方が最も観てみたかったです。

時代を大正から現代にすすめるという手法は、人気のある作品の終わり方としては王道かもしれませんが、僕は竈門炭治郎と、その子孫と思われる竈門炭彦であれば、断然前者が幸せそうに過ごす描写を少しでも多く見て、余韻に浸りたかったです。

鬼滅の刃最終話に対するまとめ


やはり鬼滅の刃近年稀に見るすごい魅力を持つ作品でしたね。

週刊少年ジャンプは少年誌の中でも特に打ち切り作品も多く、この新連載はすごく面白そう!と思う作品ですらけっこうシビアに連載終了します。

なので、話題にならなくなって連載を今も続けている作品も凄まじい魅力があります。

そして連載を打ち切られた作品も狭き門を実力者を押しのけてきた実績をを見たら、凄いんです。

ですが、そのような作品は賛否両論で話題になることも、最終回でがっかりとか、グランドフィナーレ!みたいな扱いは一切無く、ほとんどの読者の記憶にも残れません。

なので、最終話がひどい!って思うことはそれまでがすごく良かったという裏返しですし、結局最終話を叩く人も鬼滅の刃という作品が好きだったり、今も好きでありたい気持ちが隠しきれていないように思えます。

作者の吾峠呼世晴先生は家庭の事情で漫画家としてしばらく活動出来ないなど文春で見かけたこともありますし、次の作品に取り掛かる可能性は低いように思えます。

その理由は文春とは関係無しに、あれほど人を魅了した作品は作者の吾峠呼世晴先生自身ですら生み出せないんじゃないかという予感と、あまりにも鬼滅の刃という作品で次回作へのハードルが上がりすぎてしまったことです。

つい先日連載が終了してしまったサムライエイトナルトという凄い記録を持つ岸本斉史先生が原作でしたから連載と同時にハードルがかつてないほどに上がり、作品のレベル自体は高かったのですがハードルの方が遥かに高くて批判を浴びた末に連載もひっそりと打ち切られました。

吾峠呼世晴先生も実績としては短期的な爆発力ではナルトを凌いでいましたから、もしも次回作のチャンスがあっても、見たこともないようなハードルを強要されて潰れてしまうんじゃないかと思います。

ですが、鬼滅の刃という作品を毎週読ませていただけたことは本当に良い思い出になりました。

今回の記事も最後まで読んでくださってありがとうございました。