
コロナウイルス感染者が世界中で増加する中、東京オリンピックは“1年程度の延期”という線で進み始めた。
だがそれはあくまで努力目標であり、現実的には“中止”の可能性の方が高いだろう。
では東京オリンピックが中止になるような状況とはどういうものなのだろう。
それを世界情勢と日常生活の両方の視点から考えたい。
あわせて社会的距離とウイルス共生・ベーシックインカム・精神的な免疫・途上国の感染症問題といった切り口から、少し先の未来を予測してみよう。
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2020年世界の流行ワード・社会的距離
社会的距離・社会距離拡大戦略(Social Distancing)という言葉をご存知だろうか。
これは今SNSなど世界中で最も使われるワードといっても過言ではない。
言葉通り、コロナウイルス感染防止のため、あらゆるものに距離を置くということだ。
人との接触・人の集まりの禁止・都市封鎖(ロックダウン)・人の出入国の禁止。
こういったものはすべて社会的距離と一くくりに表現されるようになった。
去年はLGBTQの人たちに配慮した新しい人称“They”が世界最大の流行語になった。
そして今年は早くもこの社会的距離がそうなるだろうといわれている。
社会的距離とはコロナウイルスに対しては隔離・排除することを意味する。
つまり隔離した患者の中にウイルスを封じ込めて抹殺するというやり方だ。
だが、こんな強引なやり方でうまくゆくのだろうか。
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ウイルスに免疫で対抗する共生戦略
感染症の専門家の多くが指摘するようパンデミック級の感染症を封じ込めることは極めて難しい。
マラリア・結核・エイズの3つの20世紀の流行感染症は未だに世界中で猛威を振るっている。
そのため現実的にはウイルスとの“共生”の道が求められる。
共生とはコロナウイルスに対しては集団免疫を作ってソフトに応じることを意味する。
つまり社会的距離をゆるめてウイルスを適度に社会の中に蔓延させ、人の免疫力で有害性を自然に減らしてゆくことだ。
これは人間の中の自然治癒力を重視したやり方だ。
今でもすべての病気の回復は自然治癒力がベースになっており医療はそのサポート役に過ぎない。
現実的にはこの共生と集団免疫をメインにしてコロナに対応すべきではないだろうか。
ベーシックインカムへの序章
社会的距離と共生にはともに大きなリスクがある。
社会的距離・隔離政策を続ければ当然、経済活動が止まり生活苦から自殺者が急増することが予想される。
また病院への風評被害や医師への感染が広まれば、他の病気にかかった人の死者数も増えるだろう。
このまま隔離を続ければ、副次的死者の方がコロナ自身で死ぬ人よりもはるかに多くでてくるはずだ。
完全に本末転倒である。
しかし隔離政策には思わぬ副産物もある。
それがベーシックインカム普及の可能性だ。
ベーシックインカムとは国が特に生活困窮者に無条件で生活最低保証金(一般には月5万円ほど)を与えることだ。
今朝の朝日の朝刊では『コロナ解雇』という見出し文句で、アメリカで史上最多・週に300万件以上の失業手当申請があったことを報じた。
今後も失業者は爆発的に増えるだろう。
そしてその多くはフリーで働く低所得者層だ。
そのためトランプ大統領はすでに年収約800万円以下の成人に無条件で約12万円・こどもに5万円の給付金を渡すことを約束している。
これは日本でも必須だ。
すでに自民党の幹部会議では低所得者層を中心に一世帯上限20万円の給付金がゴールデン・ウイーク前に支払われることが話し合われているという。
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有限的なベーシックインカムが格差拡大の歯止めに
世界的な視点でみても、これは一時的な給付金から期間・対象者が有限的なベーシックインカムに変わる可能性を秘めている。
コロナの終息は一年後も見通せないのが現状だ。
来年の東京オリンピックが中止される事態になれば給付金の期間は延長されるだろう。
それによって先進諸国の一般庶民はベーシックインカムの恩恵を受けることになる。
そうなれば私たちの日常生活も一変する。
生活保障を得たことで自堕落な人が増えるのか、あるいは野心家が増えて文化・経済が活性化するのか、どちらかは分からない。
だが、いずれにせよベーシックインカムの導入は確実に世界の格差拡大を止める大きな一歩になるだろう。
これはコロナ拡大がもたらす最も大きな恩恵になりうるのだ。
ウイルス共生に伴う健康弱者が切り捨てられるリスク
コロナウイルスへの対抗策・社会的距離とは対照的な共生・集団免疫政策にもリスクがある。
人の体力や自然治癒力を頼りにすれば当然、高齢者や基礎疾患のある人たちの多くが命を落とすだろう。
今すでに感染者数が増加しているフランス・イタリア・スペインではこれが現実になってきた。
病床不足から医療制限がかかったため持病持ちの年寄りが見捨てられ、回復の見込みがある人たちが優先的に治療を受けていることが報じられている。
要するに共生政策の下では“命の選別”が行われるということだ。
あるいは数の問題にもなる。
大多数の死者数が出る隔離政策よりも、少数の犠牲者で済む共生を選ぶべきだという声が出てくるかもしれない。
倫理ということを考えれば、共生政策まっしぐらで進むこともまた大きな問題をはらむことになるのだ。
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メディア・リテラシーがもたらす精神的な免疫
コロナウイルスに関し今後のカギになるのは、パンデミック・感染症への“精神的な免疫”になるのではないか。
根本的にそれはウイルスと共に生きるという強い覚悟を持つことだ。
また騒動に踊らされないためにはメディア・リテラシーも必要だ。
現在、世界中でコロナの爆発的な感染拡大が報じられている。
一日に千人、一週間に1万人増えたと叫ばれている。
だが私にとってそれは感染拡大ではなく“感染発覚”である。
いくらパンデミックでもほんの数ヶ月のうちにここまで世界中の人々に伝染するのはおかしい。
遅くとも2~3年前にすでにコロナウイルスは世界に蔓延しており、検査体制が整い危機意識が高まった今になって発覚し始めたと捉えるのが自然なのではないか。
私は去年、風邪を2~3週間こじらせたことがあったが、それもコロナだったのかもしれない。
自力で直したのでコロナならばすでに私はその免疫を得たことになる。
実際に今年以前にコロナ免疫を獲得した人は世界中に少なくとも数十万単位で存在するだろう。
そう考えれば、多くの人はそう恐れることでもないと思いなおすはずだ。
こんな具合にメディアを読み解く力・想像力があれば、それが精神的な免疫になる。
そしてそれこそがパンデミックの時代を生き抜く原動力になるのだ。
置き去りにされてきた途上国の感染症問題
コロナウイルス問題の核心には国際的な格差拡大がある。
途上国の人々からみれば現在のコロナ騒動はとても小さく見えるだろう。
アフリカや中南米の途上国において感染症問題とは日常茶飯事である。
『グローバルファンド日本委員会』によればマラリア・結核・エイズという世界三大感染症で亡くなる人は一日で7千人・一年で250万人以上もいるという。
しかし先進諸国の多くは自国には無関係なこの病を長年放置し続けてきた。
そのため途上国からコロナ騒動を見れば、先進国の恵まれた人たちが大げさに騒いでいるだけだと捉えるかもしれない。
コロナが終息した後は、世界的な規模で途上国の感染症対策への大々的な取り組みが求められる。
今回の騒ぎはそれを放置し続けた健康格差がもたらしたものなのだ。
くさいものにはフタをする。そんな時代はもうここで終わらせねばならない。
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