本当に強烈な個性を持った人は皮肉にも亡くなった後、多くの人にそれを痛感させる。
そういえばあんな人他に誰もいなかったなぁと。
志村けんさんはまさにそういう人だった。
大物有名人が亡くなれば一時代の喪失感も伴う。
高倉健がこの世を去れば昭和の任侠映画も過去に葬られるのである。
志村けんさんの場合そういう悲愴感はない。
それは彼が時代や世代に関係ない唯一無二の存在感を持っていたからだろう。
志村けんさん亡き後の1週間、彼の追悼番組や持ち番組の多くが30パーセントに近い視聴率をたたき出した。
流行り病による肺炎や突然死という要因もあるだろう。
だが多くの人が彼の死を重く受け止めたのは、もう二度とあんな人は現れないと痛切に実感したからではないだろうか。
今回は志村けんさんの唯一無二の魅力をさまざまな角度から掘り下げたい。
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志村けんの王道芸は障害を持つ人でさえ受け皿にする
志村けんさんは芸人としてよく言えば王道、悪く言えばありきたりな芸風をつらぬいてきた。
演じるキャラの基本は、意地悪・女好き・強欲・なまけもの。
その典型があのバカ殿である。
バカ殿は人間のあらゆる煩悩・キリスト教が掲げる7つの大罪をそのまま背負ったような男だ。
志村けんさんはどの国のどの社会でも固く禁じられていることを軽々とやってのける。
なので子どもにも大うけする。
またほとんどがアクションで笑いを取るので外国人にも通じる。
彼の死を受けて多くの海外メディアが訃報を流したのも大いに納得できる。
海外にも多くのファンがいたのだ。
志村けんさんの笑いは見る人を選ばない。
老若男女すべてに受ける。
朝日新聞の『声』という一般投稿欄に志村けんさんの死後、障害者施設でも彼のコントは多くの人を笑わせていたという声が寄せられていた。
そんな離れ業ができる芸人は今も昔も彼の他にいないだろう。
その受け皿は驚くほど大きい。
芸人としての志村けんさんの強烈な個性とは、まさにその極端な平凡さにある。
あまりにもストレートな笑いなので、時代性や方向性や類型といったものがない。
平凡も極めるとそれは唯一無二の個性になる。
志村けんさんは何よりもそれを実証した芸人ではないだろうか。
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志村けんは世の価値観を引っくり返した変なおじさん
https://www.youtube.com/watch?v=HpvHJNq8Xdo
志村けんさんが生み出したキャラで最も人気が高いのはやはり“変なおじさん”である。
一度、志村けんさんは「SWITCHインタビュー 達人達(たち)」というNHKの番組で、自分のネタはすべて舞台のお客さんに受けたかどうかで決まるといったことを語っていた。
それこそがエンターテイナーであり、笑いの王道を行く彼らしい哲学でもある。
だが唯一、志村けんさんいわく「自分の願望」で延々とやり続けたキャラがある。
それが変なおじさんだと彼はゆかいそうに語った。
志村けんさんのキャラの中、やはり変なおじさんだけは見る人を選ぶものだ。
痴漢・盗撮・淫行。
ニュースでは毎日のようにそのような変質者が報じられているが、変なおじさんもまさに同類である。
老若男女すべての笑いを取るスタイルの志村けんさんにとって変なおじさんは最大の挑戦だったのではないか。
だが時がたてば、志村けんさんの代名詞といわれるまでのキャラに成長した。
子ども時代、多くの人が「変なおじさんったら変なおじさん」と踊っていた記憶があるだろう。
女子高生たちが受験に合格し学校で抱き合って喜んでいるとセーラー服の変なおじさんが現れて一緒に抱き合う。
私は今でも時々そのようなコントを思い出しては1人笑いする。
変なおじさんが受けたのはやはりそれを演じるのが志村けんさんだったからだ。
それまで真面目に笑いの王道を歩み続けてきたからこそ、変質者に扮しても愛されたのである。
またそこにはコメディの神髄もある。
変質者というのはどの国・どの社会でも最も哀しい人たちである。
だが志村けんさんによってそれはお笑い界のスーパースターにまで格上げされたのだ。
その勇姿は変質者に限らない世の中から疎外された人たちにも大いに勇気を与えただろう。
志村けんさんは何よりもこの変なおじさんによって世の中の価値観を引っくり返すというコメディの最たる使命を果たしたのである。
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志村けんさんは作品を残す道を選んだコント職人
日本を代表するコメディアンといえばやはり明石屋さんまさんになる。
タモリさん・たけしさんなどが続き、とんねるず・ダウンタウンが来て今はお笑い第7世代が出てきている。
日本のお笑い史の中、志村けんさんはこの一般的な系譜に属していない。
これは彼の圧倒的な知名度や実績からすれば異様なことだ。
なぜか。
それは志村けんさんがテレビ業界と距離を置いてきたからだろう。
彼は生涯を通じてバラエティー番組にレギュラー出演したことはほぼない。
唯一『天才!志村どうぶつ園』があるが、これは動物にまつわる物語がメインでありコメディとは別枠である。
ひと言で言えば、志村けんさんは頑固なコント職人である。
今でもほとんどすべての芸人は売れればバラエティ番組に身売りして大もうけしようとうする。
その最たる成功者が明石屋さんまさんだろう。
だが彼には死後にも残せる作品はあるのだろうか。
たとえ残してもそれは時代を超えて愛されるのだろうか。
志村けんさんは自分の名前よりも自分の作品を後世に残す道を選んだといえる。
その意味で彼はエンターテイナーでありながら生粋のアーティストでもあったのだ。
志村けんさんは革新者ではなく純真であったために貫けたコント魂
志村けんさんは生涯・コント職人だった。
そんな人は他に誰も居ない。
まさに唯一無二のコメディアンだった。
コント職人であり続けようとした芸人たちは他にもいる。
志村けんさんの訃報に最も大きく反応した芸人はダウンタウンの松本人志さんだった。
彼もまた40代まではコントを作り続けていた。
私の見たところ今、お笑い界で職人肌の人は、ロバートの秋山さん・野性爆弾のくっきーさんといった面々になる。
だが松本人志さんをふくめ、彼らは志村けんさんほどにストイックに笑いに徹することができなかった。
それは彼らが独自の笑いを追及する革新者だったからだろう。
新しい表現を続けていれば自然とそれはアートになる。
だがお笑いは大勢を相手にすることが大前提になった世界であり、その限界が彼らを阻んだのではないか。
対する志村けんさんは少々の変化を加えながらもほぼ同じ類いのコントを延々と反復することができる。
真のコメディアンとは何よりも大勢を笑わせるために同じバカを永遠に繰り返せる人。
つまり子どものような純真さを持った人であるに違いない。
志村けんさんは志村魂(しむらこん)という舞台の場で13年間死ぬまでコントをやり続けた。
私はそんな人を彼以外に知らない。
そして今後またそういう人が出てくるとも思えない。
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東京オリンピックの開会式で見たかった変なおじさん!
今年猛威を奮った流行病は日本から2020東京オリンピックと共に偉大なコメディアンの命も奪い取った。
私は個人的にオリンピックの開会式で志村けんさんのコントが見たかった。
実際2012年のロンドン五輪の開会式ではMr.ビーンことローワン・アトキンソンが出演した。
映画『炎のランナー』のパロディシーンなどアトキンソンは分かりやすい笑いで大いに受けていた。
志村けんさんもまた見る人を選ばない芸人ゆえに出演すれば世界中に笑いが届けられただろう。
五輪というさわやかな場で変なおじさんが出てきたらどうなっていただろう。
だが今はそれをただ想像するしかない。
それでも彼は多くの作品を残し、そしてそれはきっと時代や国を超えて多くの人に愛され続けるだろう。
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