小説家の津原泰水(つはら・やすみ)と幻冬舎の見城徹(けんじょう・とおる)の対立がニュースになっている。
津原が幻冬舎の出版物、百田尚樹著『日本国紀』を批判したところ、幻冬舎から出版予定だった自身の小説『ヒッキーヒッキーシェイク』の文庫本が出版中止に追い込まれた。
津原がこの事態をツイートすると、見城もツイートで応酬。
実売部数を上げ、津原の小説が売れないことが出版中止の主な理由だとほのめかした。
そうして大炎上になった。
小説家を育てる出版社の社長が小説家に“売れない作家”とレッテル貼りするこの暴挙に、多くの有名作家が見城への非難ツイートを発表。
それを受けて見城も謝罪ツイートを出したが、津原への謝罪ではなかったことで、さらに炎上することになった。
この出来事は個人的な対立を超え、現在の出版業界全体の暗部も浮かび上がらせるものだ。
そして、私自身、幻冬舎の新人賞でデビューさせてもらった過去があり、その経験もふまえてこの問題を掘り下げてみたい。
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幻冬舎を含めた出版界にも現れた忖度構造
そもそもの発端は幻冬舎から出された百田尚樹による『日本国紀』だ。
津原泰水はこれを批判し、罰として自身の文庫小説の出版中止を受けた。
見城は明言をさけているが、この決定に関わっているのは明らかだ。
これは出版社による言論統制ともいえる事態だ。
本来、言論の自由を広める立場にある出版社が、真逆のことをしているということだ。
小説家が出版社に忖度して、言論を控えるようなことになれば、活字文化は死んだも同然だ。
これでは官邸に忖度して真実を隠し続ける官僚という現在の自民党政治の病んだ構図と同じだ。
見城徹も百田尚樹も、安倍首相の友達、いわゆるアベ友として有名な人でもある。
見城が幻冬舎において忖度構造を作り上げているのも、それだけで納得がゆく。
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作家を育てる風土のない幻冬舎
幻冬舎はそもそも売れっ子作家を集めてバンバン売りまくるという社風だ。
また芸人や歌手など、有名人に小説を書かせて話題性で売るといった手法も取っている。
つまりは、無名の作家を育てるような生粋の出版社ではないのだ。
今回、見城徹が津原泰水に“売れない作家”と烙印を押したのも、その表れだ。
作家を育てるものではなく商売道具だと思っているから、そんな暴言がはけるのである。
私自身、幻冬舎の新人賞でデビューさせてもらったことがある。
私の小説は極めてユニークなものだっただけに、受賞と出版には今でも大いに感謝している。
だが、何よりも思い出すのは、ほとんど力を入れてもらってなかったことだ。
1月に原稿直しを送れば、5月にようやく返事がもらえるような、そんな緩い対応だった。
さらに宣伝にも力を入れてくれなかった。
幻冬舎の雑誌主催の新人賞だったので、発売前にインタビュー記事を載せてもらえるのではと思っていた。
だが、それはなく、しかも発売後の雑誌にも私の小説の宣伝は、雑誌の後ろの方でモノクロ1ページというものだった。
新聞広告も載せてくれたが、有名な人の本のついでに小さく扱ったものだった。
しばらく本屋の店頭には私の小説が並んだが、半ば諦めていた。
いったい誰が、宣伝もされていない無名作家の本を1,300円も出して買うのだろうか。
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本が売れないほとんどの理由は出版社にある
実際、私の小説は売れなかった。
またその後、1年ほど、何作か小説を担当編集者に送り続けたのだが、ただのひと言も返信をもらえなかった。
幻冬舎は今も昔も、作家を育てるような出版社ではないのだ。
本が売れる売れないは、ほとんど出版社の力量にかかっている。
もし私の獲った幻冬舎の新人賞を村上春樹や東野圭吾が獲っていたとしても、デビュー作は決して売れなかっただろう。
2人のような大作家の卵でも、出版社の売り方によって将来が大きく左右されるのだ。
世の多くの人は、本を買う前にその良し悪しを判断できない。
本屋やAmazonでの立ち読みだけでは、著作家や編集者でも判断できないだろう。
そのため、宣伝のコピーや批評や有名人のコメントなどが、大いに役立つのである。
出版社がそれを担っている。
そのため、本が売れる売れないの責任のほとんどは出版社にある。
ひどい内容の本でも宣伝効果でベストセラーになった本は世にいくらでもある。
そして、すばらしい本でも宣伝されなかったので消えた本は、それ以上に存在するのである。
幻冬舎の見城徹が津原泰水に売れないと中傷しても、それはブーメランのように自身の元に返ってくるだけだ。
売れなかったのは出版社の長であるあなたのせいなんだよと。
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一般層をあきらめ一部のターゲットにだけ本を売る、末期状態の出版社
騒動の発端になった百田尚樹の『日本国紀』は、現在の出版業界の病をさらけだしていると言える。
津原泰水がこの一大日本史を批判したということだが、いわゆるアベ友の百田が書いたものだということで大いに共感する。
文章のコピペが槍玉にあがっているそうだが、『日本国紀』の内容自体も批判に値するものだ。
何しろ、その終章は、敗戦によって戦後70年もの間、日本人は自虐思想に侵されて来たという内容らしく、それだけで右翼が好む歴史修正主義的なものだというのが分かる。
特に批判にあがっているのが、WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)である。
戦後、アメリカ占領軍GHQが、日本人に戦争の罪悪感を植えつけるための宣伝政策を行ったというものである。
百田はこれを大いに問題視しているが、それは日本の戦後反省を他国に押し付けられた洗脳だと言っているようなものだ。
WGIPが事実だったとしても、平和憲法につながる日本の不戦の誓いは民意によるものであり、さらにその後、長い年月を経て日本人が自国の誇りとして自発的に固めていったものだ。
それをただの洗脳だとする百田の態度は、戦争肯定論にもつながる危険なものだ。
幻冬舎がこのような『日本国紀』を出版し、大いに稼いでいることは今の出版界を象徴している。
本が一般層に売れなくなったので、ターゲット・マーケティングに変更し、ある一部の人たちだけに向けた本を出す。
こういった出版習慣が目立つようになってきたが、それは瀕死の出版業界の末期症状だと言える。
ターゲットの多くは保守や右翼のような少数派ながら社会の固定層になっているものだ。
彼らだけに受けるものを書いた方が一般層に売るよりも大いに稼げる。
実際、『日本国紀』はすでに60万部を売り上げている。
だが、それは新興宗教の教祖の本が売れるのと同じで、何ら活字文化を形成するものではない。
出版社の長が作家を商売道具としてとらえ、文化を後退させるような出版物で大もうけする。
今回の津原泰水と見城徹の対立を受け、出版社の終わりだと見る人が数多く出てきた。
確かにその通りだ。
作家を育てられないのなら、出版社というものに一体どんな存在意義があるというのだろう。
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