「戦争しないとどうしようもなくないですか」
衆議院議員、丸山穂高から飛び出したこの発言が大炎上している。
昨今、日ロ首脳会談で北方領土問題が再び棚上げになったことも影響してか、戦争でもしないと北方四島は取り返せないと言いたかったのだろう。
しかも場所は北方四島にある国後島、建設に尽力した元議員、鈴木宗男にちなんでムネオハウスと呼ばれる日本とロシアの友好の家。
さらにタイミングは“ビザなし交流”と呼ばれる両国間の人々が顔を合わせる親善行事の期間中だった。
丸山議員の発言はロシア人との公式行事の後の夜、日本人の訪問団を前に出たもので、その際、彼は酔っていたという。
完全に非公式、いわば無礼講だったとはいえ、日ロ友好事業の最中の出来事だったのだ。
丸山議員の所属する日本維新の会は最も重い除名処分を即決で発表し、彼の議員辞職をも促した。
だが、丸山議員はそれを拒否。
そこで維新は他党に呼びかけて辞職勧告決議案を国会に出す方向に舵を切った。
今、この問題で日本は大騒ぎになっているが、実は丸山発言以上に大きな問題が見えてくるニュースでもある。北方領土問題の核心部も絡めて、掘り下げてゆきたい。
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北方領土問題の長~い堂々巡りを噛み砕いて
まず、北方領土問題について見てゆこう。
北方領土とは北海道の北東部に連なる四島のことで、
東側から
国後(くなしり)
歯舞(はぼまい)
色丹(しことたん)
択捉(えとろふ)
と呼ばれる。
元は日本領だったが、1945年、太平洋戦争の終結後まもなくロシア(当時はソビエト連邦)に占領地として奪われることになった。
これは、それまで結んでいた互いの国に軍事侵攻をしないという日ソ中立条約を破る形で、強引に行われたものだ。
その後のアメリカとの冷戦を予見してのことなど、占領理由はさまざまに言われている。
だが、終戦のどさくさに紛れて日本の領土と資源を奪っておきたかったというのが本音だろう。
1951年、サンフランシスコ平和条約によって、日本は国として主権を回復した。
一方、この国際会議にソ連は参加したが調印はしていない。
日本が、北方四島を自国の領土であり、他国に返還する義務はないと主張したのを受けてのことだと言われている。
この辺から、両国のこの問題はこじれることになる。
1956年、日ソ共同宣言によって、両国の国交正常化がなされたが、北方問題は棚上げされた。
そして、その後、60年以上に渡って、同じ状態が続いている。
2019年、安倍首相とプーチン大統領の会合が重なった中、久しぶりに問題解決の機運が高まった。
だが、「四島すべての返還」を交渉の前面に出したため、再び棚上げになってしまった。
欲を出せば、すべてを失うとはこのことである。
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ロシアの極悪ぶりを見れば共感もできる丸山発言
丸山議員の発言は、まさにそんなタイミングで出てきた。
「戦争しなきゃ島は取り戻せない」
こうも取れる議員の言葉に数多くの日本人が反応したのは、やはり共感を呼んだからでもあるだろう。
私も、その気持ちは充分よく分かる。
ロシアは中国や北朝鮮に並ぶ悪知恵大国であり、欲深さの元、おそろしく交渉が上手い。
たとえ平和裏に北方四島が戻ったとしても、そのときまでに日本は何十兆円もの代償を支払っていることだろう。
ロシアの専門家で著作家の中村逸郎は、あるTV番組の中
「ロシアにとって日本はATMだ。“北方領土”という4文字の暗証番号を打てば、いくらでもお金が引き出せる」
と言っていた。まさに完璧なたとえだ。
北方四島は返ってきて欲しいが、そのためには恐ろしく時間と金がかかる。
こうなれば戦争した方がマシなんじゃないか。
そう考える日本人も少なからずいるだろう。
丸山議員には、かつての維新の会代表、橋下徹に通ずるものがある。
橋下は合理的なリアリストであり、かつ国民の率直な意見を声にするポピュリストでもあった。
その意味で、丸山議員もまさに維新の志士の1人だったのだ。
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議員を1人も辞めさせられないほど無力な国会
だが、やはり丸山議員の発言は完全にアウトである。
「議員辞職しろ」との圧力に、丸山議員はツイッターで盛んに反論している。
言論府である国会が、失言した議員の辞職勧告決議案を出して言論の自由を押さえつければ、日本の民主主義の根幹を揺るがすことにもなる。
そんな言い分を書いている。
だが、丸山発言は、厳密に言えば憲法違反なのである。
日本は立憲主義国であり、国会議員は皆、憲法に仕える立場にある。
もちろん既存の憲法に反対する言論の自由は、政治家にも認められるべきだ。
しかし、平和憲法9条は、日本という国の核心にあるものだ。
いくら無礼講で酔っている状況であっても、戦争を肯定する丸山発言は日本の憲法そのものを傷つけるものだった。
悲惨な太平洋戦争で得た最大の教訓を踏みにじるものだった。
これは言論の自由などではなく、ヘイトスピーチのような暴言に過ぎない。
しかし、ここでもう1つより大きな問題が浮かび上がってきた。
それは国会議員が、同じ議員を辞めさせられないということである。
今後、辞職勧告決議案が国会で通ってもそこには法的拘束力がないため、丸山議員はそのまま続けられるのである。
今、日本国民の多くは丸山議員の辞職を求めており、国会議員の多くもそれに応じ辞職勧告決議を下そうとしている。
だが、何と丸山議員にはそれへの拒否権があるのだ。
これが意味するのは、国民は政治家を選べるが、政治家を直接クビにすることは出来ないということだ。
これは明らかにいきすぎた政治権力であり、悪政の温床にもなる。
カルロス・ゴーンの事件では、彼の横領よりも検察の取調べ制度が大きく問題視された。
この丸山発言もまた、議員辞職もさせられない国会の無力さこそ、より問題視すべきものであるはずだ。
議員1人もクビに出来ないほど国会に力がないということは、そのまま国民の非力さにつながっている。
大いに炎上する世論が、少しでもこちらの方に飛び火して欲しいものだ。
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