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渋沢栄一が令和の時代の顔に相応しい理由!新紙幣の選考基準や根拠も

渋沢栄一が令和の時代の顔に相応しい理由!新紙幣の選考基準や根拠も

渋沢栄一(しぶさわえいいち)と言えば、

2024年上期から変わる紙幣の一万円札に選ばれた方ですよね。

 

渋沢栄一は日本の実業家で、

過去に様々な偉大な功績を残されたことで「日本資本主義の父」と称されています。

 

ところで新紙幣に渋沢栄一含め津田梅子

北里柴三郎の三人が選ばれたわけですが、

このお札に選ばれる人物の基準や理由などはご存知ですか?

 

今回はその中でも一万円札の

新顔になる渋沢栄一の生い立ちや出身地、

魅力、お札の肖像画の選定基準と理由についてもご紹介させていただきたいと思います。

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日本国民が誇れる日本資本主義の父「渋沢栄一」とは一体どんな人物?

渋沢栄一の生い立ちは?新紙幣の顔になる理由も!出身地や魅力は?1

渋沢栄一は天保11年2月13日(1840年3月16日)~昭和6年(1931年11月11日)

幕末から昭和の実業家であり、

武士である渋沢は武蔵国(今の埼玉県)出身です。

 

藍玉と養蚕を兼営し、

麦や野菜の生産も手掛ける豪農でした。

 

半農半商の家庭に生まれ、

原料の買い入れと販売を担うため、

一般的な農家と異なり、

常にそろばんをはじく商業的な才覚が求められました。

 

幼少期より勉強を好み、

商売と論語をはじめとする中国古典を学んでいたという。

 

14歳の時からは単身で

長野や新潟に藍葉の仕入れに出掛けるようになったといいます。

 

やがて江戸を出て、

儒学を学びながら千葉道場に入門し、

勤皇の武士たちと一時は長州藩と連携して倒幕を計画したそうです。

 

しかし従弟に説得されて計画は断念。

 

1867年には徳川慶喜の弟・昭武に伴って

パリ万国博に派遣されることになる。

 

万国博には西欧の国々が蒸気機関、

電信・電気などの最先端科学の成果を出品していました。

 

この時の経験がヨーロッパ時代の

経済システムを吸収しやすい素地を作り出し

後の現実的な合理主義思想につながったと言われています。

紙幣の肖像画の選定基準について

渋沢栄一の生い立ちは?新紙幣の顔になる理由も!出身地や魅力は?2

紙幣は偽造防止の目的

20年ごとに新しく変わっています。

 

なぜ様々な偉人がいる中、

渋沢栄一が新紙幣に選ばれたのでしょうか。

 

お札の肖像の選び方には

特別な制約はないようなのですが、

日本国民が世界に誇れる人物で、

教科書に載っているなど、一般的によく知られていること。

 

 

お札の偽造防止の目的などから

なるべく精密な人物像の写真や絵画を入手できる人物であることが重要みたいです。

 

肖像をはじめとするお札の様式は、

 

通貨行政を担当している財務省

発行元の日本銀行

製造元の国立印刷局の三者で協議し、

最終的には日本銀行法によって財務大臣が決めることになっています。

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新紙幣に選ばれる渋沢栄一の魅力とは?

渋沢栄一の生い立ちは?新紙幣の顔になる理由も!出身地や魅力は?3

実業家の渋沢栄一

近代日本の発展のために力を尽くしてきた日本の巨人である。

 

幕末から明治、大正、昭和と生き、

彼が関与した企業は金融、製紙、保険、運輸、鉄道など多岐にわたりその総数は500にものぼるそうです。

 

今も代表するところでいえば、

みずほ銀行

 

東京証券取引所

 

東京ガス

 

王子製紙

 

太平洋セメント

など我々の生活になじみ深い大企業が多数存在する。

 

財を成し地位を築いた人物が

最後に求めるのは、この世に名を残すことだという。

 

そのために自伝を出版したり、

誰に望まれたわけでもないのに

銅像を建てたりする人だっている。

 

しかし渋沢栄一は

新聞や雑誌の取材で成功談を請われても

わが意見を世に問うのは本意ではない

と自分の考えや業績を明らかにせず、

ひたすら国のために考え続けた。

 

ところが、明治を過ぎたころから

渋沢の発言の露出が多くなります。

 

それは渋沢が苦労して起こした企業が

軌道に乗り始めると、

それをお手本にした株式会社が次々と誕生したのです。

 

やがて日本人の心にあった

商売は悪である

利益を追求することは人の道に反する

といった考え方はだんだん薄れていきました

 

渋沢栄一の名言集の中には

こんな言葉があります。

「もうこれで満足だという時は、すなわち衰えるときである。」

 

「人は全て自主独立すべきものである。自立の精神は人への思いやりと共に人生の根本を成すものである。」

 

「商売をするうえで重要なのは、競争しながらでも道徳を守るということだ。」

明治の終わりは、

ちょうど日露戦争に勝利して

日本が喜びに沸いていた時です。

 

戦争後一獲千金を実現した者も多く、

金さえ儲かれば何をしてもよい

という拝金主義が現れ始めました。

 

たしかに渋沢は

金儲けは悪いことではない

とは言いましたが、しかしそれは

どんな手を使ってもいい

という意味ではなく、

大切なのは国のため人のためを第一に考えること。

 

ひたすらに金儲けに走り始めた人々の

姿を黙ってみていられなかったのでしょう。

渋沢栄一の生い立ちは?新紙幣の顔になる理由も!出身地や魅力は?まとめ

今回は日本の偉大なる実業家・渋沢栄一について簡単にご紹介させていただきました。

いかがでしたでしょうか?

 

彼の魅力は何よりも

国家のために力を注いできた姿にあります。

 

渋沢栄一は半農半商の家庭に生まれ、

それから様々な勉強や経験を積まれました。

 

彼が設立に関わった企業の総数は

約500以上にもなります。

 

それが今の日本を支えている企業も多数あります。

 

彼の残された功績からしても

新紙幣にふさわしい顔であると言えるのではないでしょうか?

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