NHKの大河ドラマっておもしろいですよね。
2018年には誰もが知っている西郷隆盛が主人公の「西郷どん」が放送されたり、綾瀬はるかさんを起用して話題となった「花燃ゆ」なんかもありましたよね。
個人的には第32作目の「炎立つ」が大好きなんですよ。
奥州藤原氏が主人公の話で、私の地元で撮影されたんですよ(年と出身地がばれちゃいますね)。
知り合いもエキストラで起用されたりなんかして、何もない地元が流れ星のようにほんの一瞬だけ輝いていました。
‥‥すいません話がそれました。
2019年の大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」が既に始まっていますが主人公の二人を知っていますか?
日本にオリンピックを招致した田畑政治さんと日本で初めてオリンピックに参加した金栗四三さんの二人が主人公なのですが、私の周りには金栗四三を知らない人が多すぎてびっくりしてます。
彼がいなかったら「箱根駅伝」や「グリコのマーク」、もしかしたら「日本製のスパイクシューズ」もなかったかもしれないほど偉大な方なんです。
そこで今回は大河ドラマを楽しく見るためにも金栗四三さんのプロフィールと共に数々の逸話を紹介させていただきます。
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金栗四三のプロフィール
金栗四三(かなくりしそう)さんは1891年熊本県玉名郡春富村(現在の玉名郡和水町)に8人兄弟の7番目の子供として生まれました。
病弱な幼少期でしたが往復12kmもの通学路を毎日走って通う「かけあし登校」でメキメキと走力が養われていきます。
金栗四三は学校の成績も優秀で東京高等師範学校(現:筑波大学)に現役合格し、翌年にはストックホルムオリンピックの国内予選会にて当時の世界記録を27分も縮めた2時間32分45秒で優勝しました。
ですが日本人が初めて参加したストックホルムオリンピックでは日射病で倒れてしまい、完走をあきらめることを余儀なくされてしまいます。
その後の
第6回ベルリンオリンピックは第一次世界大戦の影響で中止、
第7回アントワープオリンピックでは直前の練習で足を痛めてしまい16位、
第8回パリオリンピックでは途中棄権とオリンピックでは思うような結果を出せないまま引退の道を歩みます。
1983年、92歳で亡くなりましたがそれまでに
「高地トレーニングの導入」
「各種マラソン、駅伝大会の立案」
「関東女子体育連盟の設立」
「ランニングシューズの開発」
「紫綬褒章の受賞」など、功績を挙げていったらきりがありません。
金栗四三さんの影響は今でも大きく、「金栗」の名を冠した大会はもちろん、「箱根駅伝」での最優秀者には「金栗四三杯」が授与されるなど日本マラソン界の普及と発展のために尽力した金栗四三さんを称え「マラソンの父」と呼ばれるようになります。
華の2区での激闘、
5区山登りでの神降臨、
シード圏をかけたドラマ、
歩道に出現するフリーザ様など
毎年話題に事欠かない箱根駅伝ですが、
開催には金栗四三が大きく関わっています
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金栗四三はどんな人?箱根駅伝の開催
お正月の風物詩「駅伝」
大正8年、金栗四三さんと沢田英一さん、野口源三郎さんの3人が集まり、日本の長距離選手を育てる為としてサンフランシスコとニューヨークを駅伝方式で走り切る「アメリカ大陸横断駅伝」を考えつきました。
この間なんと直線距離で約4,000km!
本州の端から端までで約1,200kmですから途方もない距離です。毎日10kmの通勤距離を遠い遠いと言いながら車で通っている私には絶対に考えつかない大会です。
そして、この予選会として各大学に参加を募ったところ東京高等師範、早稲田、慶応、明治の4校が名乗りを上げ、四大校駅伝競走の名で開催されて東京高等師範が優勝を飾りました。
この予選会が東京箱根間往復大学駅伝競走、つまり箱根駅伝へと名前を変え今も毎年おこなわれているのです。
ちなみに「アメリカ大陸横断駅伝」はあまりのスケールの大きさから中止を余儀なくされています。
でも実際開催されていたらどうなっていたでしょうね?
ロッキー山脈を越えなければいけませんし、乾燥地帯も通ることを考えると完走することも難しかったんじゃないでしょうか。
そんな夢への予選会だからこそ毎年感動のドラマが生まれるのかもしれません。
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金栗四三はどんな人?大河いだてんのモデル?日本初のランニングシューズの開発
金栗四三さんが世界記録を達成した1911年には実は日本にランニングシューズというものは存在しませんでした。
では何で走ったかというと当時の選手は「普通の足袋」を履いて走っていました。
現代では考えられませんが、当時は専用シューズというものはなく、現に金栗四三さんも世界記録を出した時走る途中に足袋が破れてしまい素足で走っています。
当時ランニングシューズがあったらもっとすごいタイムが出ていたかもしれませんね。
この経験から金栗四三さんはマラソン用の履物が必要だと考えるようになります。
日本人が初めて参加したストックホルムオリンピックでは足袋の底を3重にし、耐久性とクッション性を高めた「マラソン足袋」の開発に成功します。
ですがストックホルムは石畳の道路で(日本は当時土の道路が主流)、マラソン足袋でも衝撃を吸収できず金栗四三さん自身足を痛めてしまいます。
そこで帰国後、底にゴムを張り付け、甲を紐で縛る「金栗足袋」を開発し1928年のアムステルダムオリンピックでは山田兼松さんや津田晴一朗さんが入賞する快挙を成し遂げます。
金栗四三さんは現役引退後も金栗足袋の改良を続け、ついに国内初のランニングシューズである「カナグリシューズ」の開発に成功します。
1953年のボストンマラソンに日本人が参加したときは、全員が「カナグリシューズ」を履き、うち山田敬蔵さんが2時間18分51秒の世界新記録で優勝する快挙を成し遂げます。
金栗四三さんがいなければ世界記録はおろか、今日まで日本製のランニングシューズが生まれることがなかったかもしれません。
金栗四三はどんな人?オリンピックでの”珍”世界記録
ストックホルムオリンピックで完走できなかった金栗四三さんですが77歳になったある日オリンピック協会から一通の招待状が届きます。
実はストックホルムオリンピック開幕55周年を記念し、スウェーデンのオリンピック委員会が記録を見直していたところ、金栗四三さんの記録がないことに気づきました。
これは金栗四三さんが脱水症状で倒れた際「棄権」扱いにせず「行方不明」として処理したため起こった珍事で、記念式典でゴールしてもらうこととなり招待状を送ったのです。
金栗四三さんは快諾し55年ぶりに悲願のゴールを達成。
「金栗選手、54年8ヵ月6日5時間32分20秒3でゴールしました。これでストックホルムオリンピックの全競技を終了いたします。」
オリンピック協会の粋な計らいで生まれたこの世界記録は今後も破られることはないでしょう。
また金栗四三さんはゴール後のインタビューでこう答えています。
「長い道のりでした。ゴールまでに孫が5人できました。」
会場を沸かせる素晴らしいコメントですね。
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金栗四三はどんな人?江崎グリコのモデル
テレビでしか大阪を知らない私にとってビリケンさんとくいだおれ太郎にならぶ「三大大阪マスコット」的な存在の道頓堀「グリコのマーク」ですが、実は金栗四三がモデルの一人なのです。
正式名称は「走る人」という名前なのですが、
第5回極東選競技大会のマラソン競技で優勝したフィリピン人のカタロンさん、
パリオリンピックの短距離競技に出場した谷三三五(たにささご)さん、
そして金栗四三さんらがモデルとなっていると言われています。
これはグリコの創業者、江崎利一さんが商標とキャッチコピーを考えている時に、近くでかけっこをしていた子ども達のゴール姿を見て
「スポーツこそ健康の証。ゴールインの姿はその象徴」
で陸上選手のゴールの姿をモデルにしたそうです。
あのイラストは本当に記憶に残りますね。
ほんと1粒で300m走り切れそうな感じが滲み出てます。
金栗四さんのまとめ
いかがでしたでしょうか?
日本のマラソン界に金字塔を打ち立てた金栗四三さん。
きっとマラソンのようにずっと走り続けた人生だったのでしょう。
彼が55年もの歳月をかけてマラソンをゴールしたのはある意味運命だったのではないでしょうか?
大河ドラマ「いだてん」の展開が気になるところですが、彼の生涯を知った上で見るとまた違った視点からドラマを楽しめると思います。
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